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最高裁判所第二小法廷 昭和34年(れ)2号 判決

判   決

会社役員

日野原節三

会社顧問

丸山二郎

右日野原節三に対する贈賄、経済関係罰則の整備に関する法律違反、丸山二郎に対する経済関係罰則の整備に関する法律違反各被告事件につき昭和三三年一一月一七日東京高等裁判所が言渡した判決中各有罪部分に対し各被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決中被告人日野原節三に関する有罪部分を破棄する。

同被告人を懲役一年に処する。

第一審における未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

但し本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中原審証人山本栄治、同原田龍一、同木下忍、同岩崎銀次郎、同世川智、同原猛六、同野崎陽之輔、同越田覚造、同古川衛、第一審証人渡辺幸吉、同伊達宗彰、同古川衛、同松本弘(第一審六八回公決における分)、同高梨勇、同中村時定に支給した分は被告人日野原節三の負担とし、原審証人森誓夫、同別府滋樹、同須々木忠一、同森田岩夫、同田中茂、同亀井善夫、同安田幾久男、同沢井定一、第一審証人松本弘(喜多方工場における分)、同森誓夫に支給した分は被告人日野原節三をして同丸山二郎と連帯して負担させ、第一審証人村上憲夫、同原猛六、同斎藤辰雄、同仙波泰雄、同大橋勇、同間和雄、同田中健吉に支給した分は被告人日野原節三をして第一審相被告人藤井孝と連帯して負担させ、第一審証人斎木秀夫、同高島節男に支給した分は被告人日野原節三をして第一審相被告人野見山勉と連帯して負担させ、第一審証人岩崎銀次郎(第一審第八四回公判における分)に支給した分は被告人日野原節三をして第一審相被告人津田信英と連帯して負担させる。

被告人丸山二郎の本件上告を棄却する。

理由

被告人日野原節三の弁護人田中康道の上告趣意第一点について。

論旨は、本件については日本の裁判所に裁判権がないと解すべきであるのに、これを肯定した原判決は違憲であると主張する。

しかし、わが国が連合国の占領管理下にあつた本件犯行当時においては、「日本における連合国の管理は原則として間接管理の方法をとつており、従つて連合国最高司令官の命令又は指示に基く事項であつても、これに関する裁判は、特に日本の裁判所がこれを審判することを排除する趣旨が明らかであるものを除き、日本の裁判所にまかされて」いたことは、昭和二六年(ク)第一一四号同二七年四月二日大法廷決定(最民集六巻四号三九二頁)の既に判示するところである。そして原判決認定にかかる被告人日野原の本件各所為は、右大法廷決定にいわゆる「連合軍最高司令官の命令文は指示(本件では、主要な金融又は産業的企業の解体又は清算に関する昭和二〇年一〇月二〇日付覚書、制限会社の規制に関する同年一二月八日付覚書、肥料の生産、配給及び消費に関する同二一年五月一七日付覚書、本件昭電肥料工場の復興資金借入許可に関する第一次ないし第三次覚書)に基く事項」とはいえないことが明白であるのみならず、右各所為が、たとえ所論のように「連合国最高司令官の命令又は指示(前同)に基く事項」に関連してなされたものであるとしても、これに関して日本の裁判権を排除する特別の理由も認められないから、所論のように日本の裁判所に裁判権がないということはできない。この点に関する原判決の判断は結局において正当であり、論旨は採るを得ない。(なお、本件の如き間接管理の場合ではなく、いわゆる直接管理の場合においても、「わが国の官憲は、連合国最高司令官又はその委任に基き進駐軍当局が、占領目的遂行のために発する命令を遵守し又は施行する義務を課せられていたものであるから、かかる命令に基きわが国の公務員が進駐軍当局の占領目的遂行のための行動に協力しまたはこれを補助する行為も、わが国の公務員としてわが国の公務を執行するものに外ならない」ことについては、昭和二七年(れ)第七三号同三三年一月二九日大法廷判決、最刑集一二巻一号七四頁参照。)

次に論旨は、原判決が、前記財閥解体に関する諸覚書、肥料の生産、配給及び消費に関する覚書は、日本政府を名宛人とし日本政府に対し必要な措置をとることを命じたものであつて、特定の政府機関ないし特定の者に対して直接何らかの行為を命じたものとは解することができないし、また所論第一次ないし第三次許可覚書も皆同じく日本政府宛のものであつて、昭電当事者がこの許可覚書によつて占領軍当局から直接肥料工場復旧の要求を受けていると解すべきではない旨判示した点が、昭和二五年七月一八日付連合国最高司令官の吉田内閣総理大臣宛書簡に関する同二七年四月二日当裁判所大法廷決定に違反すると主張する。

しかし、前記各覚書は、右書簡とは内容趣旨において全然異なるのみならず、その形式内容に徴しても、それらは、すべて日本政府宛のものであつて日本の国家機関を構成する国家公務員並びに国民に対し直接何らかの行為を命じたものとは認められないから、日本のすべての国家機関並びに国民に対する指示と認められる前記書簡に関する右大法廷決定は、本件とは事案を異にし適切を欠くものであり、所論は上告適法の理由とならない。

さらに論旨は、原判決が、臨時資金調整法四条二と制限会社令二条後段とは、その立法趣旨を異にするから、両者は両立し得るのであり相牴触するものではない、従つて、両者が常に重複牴触の関係にあつて、前者は後者のため効力を停止せられると論ずることは許されない旨判示した点が、前記大法廷決定に違反すると主張する。

しかし、所論引用決定は、日本の法令が連合国最高司令官の発した命令指示に牴触する限りその適用が排除される旨判示したものであるところ、本件における臨時資金調整法四条の二と制限会社令二条後段とは、その立法趣旨を異にし、両立併存するものであつて互に牴触排斥の関係にあるものではないとの原判断は正当であるから(本件においては、たまたま昭電が制限会社として指定を受けているため、本件肥料工場復興資金借入については、右両者が重複して適用される結果双方の許可を必要とするに過ぎないのである。)、引用決定は本件とは事案を異にし適切ではなく、論旨は上告適法の理由とならない。

同第二点について。

論旨は、所論金融機関資金融通準則の根拠法令たる金融緊急措置令六条は、「金融機関其の他大蔵大臣の指定する者」と規定しているだけであつて、大蔵大臣がその指定をなし得るための条件については何も規定していないから、資金融通の制限を受ける主体は、委任を受けた行政機関の任意に任かされその範囲が無限定であるし、また同条は、大蔵大臣が「資金融通の制限又は禁止」の命令を発し得るための条件、目的について何も規定していないから、行政機関は如何なる目的のためにも自由に右命令を発し得ることになる。従つて同条は、委任立法として新旧両憲法上許容せらるべき委任限度を超えたものであつて違憲無効であると主張する。

しかし、金融緊急措置令八条は、「本令に於て金融機関とは郵便官署、銀行…を謂う」と規定しているのであるから、所論安田銀行は、同措置令六条の「金融機関」に該当し「その他大蔵大臣の指定する者」ではない。従つて右「その他大蔵大臣の指定する者」という文言が、所論のいうに委任立法の範囲を逸脱しているか否かは、本件においては不必要無関係である。また右措置令が、終戦後における悪性インフレーシヨンに対処しこれを制圧克服する目的を以つて制定せられたものであることは、所論においてもこれを自認するところであるばかりではなく、その制定の経過自体に徴しても、またこれと同時に日本銀行券預入令等の緊急勅令が制定公布せられた事実に鑑みても、認に明白なところである。されば同措置令の解釈適用に当つては、右制定の目的、趣旨が形式的に条文上明記されていないからといつて、所論のようにこれを無視除外して事を論ずべきではない。それ故所論違憲の主張は、すべてその前提において失当であり、上告適法の理由とならない。(なお、金融緊急措置令六条が旧憲法下においても違審無効であることの論旨は、原判決認定の被告人日野原の丸山次郎、横山彰に対する本件各犯行の日時がいずれも日本国憲法施行後に属するから、不適法な主張である。)

右違憲の主張を除くその余の論旨は、単なる法令違反の主張であつて上告適法の理由とならない。(所論がその実質においても理由のないことについては、論旨引用の昭和二八年(あ)第五六二六号同三一年二日二九日第二小法廷決定参照。)

同第三点について。

論旨は、昭電の本件肥料工場復興資金借入に関する許可申請及びこれに対する許可は、その内容と目的において、臨時資金調整法四条の二の場合も、制限会社令二条後段による場合も、両者ともに同一で寸毫も異なるところはないから、一般人の中特に制限会社の場合を対象とする制限会社令二条後段の規定は、一般人を対象とする普通法又は原則法たる臨時資金調整法四条の二の規定に対し、特別法又は例外法たる性質を有し、従つて右調整法四条の二の規定は、本件に関する限り、制限会社令二条後段の規定により効力を排除せられると解すべきである。また制限会社令二条後段の規定により大蔵大臣の許可を得た以上、それは臨時資金調整法施行令六条の三、第一項第二号の「行政官庁の認可又は許可を受けたる者」に該当し、右調整法四条の二但書の「命令の定むる者」に当るから、同条項本文の許可を重ねて受けることを要しないと解すべきである、しかるに右と異なる見解を採る原判決は、一般法・原則法と特別法・例外法との関係に関する法理を誤つた違法があると同時に、大正二年(オ)第一二五号同年六月一二日大審院判決に反する判断を示した違法があり、さらにまた右調整法四条の二及び同法施行令六条の三の解釈を誤つた違法がある旨主張する。

しかし、論旨中判例違反を主張する点は、論旨引用の右大審院判決が、旧旧刑訴一三条一項と民法七〇九条との関係について判示したものであつて本件とは事案を異にし適切を欠き、その余の論旨は単なる法令違反の主張(なお、臨時資金調整法四条の二と制限会社令二条とは、その立法趣旨を異にし両者は両立併存するものであつて、本件資金借入については重複して適用されることについては前説明のとおりである。)であつて、論旨はすべて上告適法の理由とならない。

同第四点について。

論旨は、日本肥料株式会社(以下単に日肥と略称する。)から日本水素工業株式会社(以下単に日水と略称する。)に対する本件融資は、日本肥料株式会社法及び農林中央金庫法上違法又は脱法行為であるから、これに関しては日肥理事長重政誠之は法令上の職務権限を有しない、従つて被告人日野原についても原判決認定の賄賂供与罪は成立しないと主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反の主張であつて、上告適法の理由とならない。のみならず、原判決の認定するところによれば、日本政府は、終戦後における国民生活の復興特に食糧不足を打開すべく、食糧増産対策の一環として、全国化学肥料工場が、戦時中の設備の修理不足、運転休止等による老朽化及び戦災による破損等により、その生産量が著しく低下している事態に鑑み、昭和二〇年一一月一三日閣議決定「食糧増産確保に関する緊急措置に関する件」により、化学肥料製造工場の設備資材及び原料の供給並びに肥料製造業者に対する資金の融通につき特別の措置、例えば金融機関に対する融資命令、農林中央金庫よりの融資を計るべきこと等を決定し、当初は政府の金融機関に対する融資命令等の手続がとられるまでの間の繋ぎ資金の趣旨で、後には肥料製造業者の行う社債発行までの繋ぎ資金という趣旨で、農林中央金庫の資金を日肥を通じて各肥料製造業者に融資を行うよう行政指導をしたのであつて、すなわち、昭和二〇年一一月一七日付農林省農政局長、同総務局長の日肥理事長宛通牒、同二一年二月二〇日付農林次官の農林中央金庫理事長宛通牒により、日肥は、全国肥料工場設備の復旧転換等の資金として農林中央金庫から一括融資を受け、これを日水を含む各肥料製造会社に貸付けたというのである。そして、日本肥料株式会社法九条二項、二五条によれば、日肥は、政府の許可を受け又はその命令により同法九条一項三号所定の「其の他肥料の供給確保上必要なる事業」を行い得ることが明らかであり、日肥の各肥料製造業者に対する本件融資は前示条項にいう「其の他肥料の供給確保上必要なる事業」に当ると解するのが相当であり、また農林中央金庫法一五条一項五号によれば、農林中央金庫は、その業務上の余裕金を、主務大臣の許可を受けて「農林水産業に関する事業を営む法人」に対し短期貸付をなすことができる旨規定されている。それ故日肥の日水に対する本件融資が、所論のように違法又は脱法行為であることは到底認めることができない。

同第五点について。

論旨は、要するに、西尾末広関係における本件一〇〇万円授受の経過顛末として原判決が認定した所論諸事情、さらに右に関連して原判決が認定した所論指摘の諸事実並びに引用各証拠によれば、被告人日野原は西尾をして右金員が賄賂であることを了知せしめ得べき事情の下にその収受を促したものではなく、原判示の請託とは何ら関係のない所論挨拶料又はいわゆる政治献金の趣旨であることを示してその収受を促した事実が認定されるし、かりに、被告人日野原において、原認定のような賄賂提供の意思があつたとしても、その意思表示は、右金員を現実に持参提供した藤井孝の行為より中断せられ西尾に対しては不到達に終つているから、本件賄賂供与申込は未遂である、しかるに同申入罪の成立を認めた原判決は、所論大審院判決に反する判断を示したものであると同時に同申込罪の法理を誤つた法令違反の違反がある、と主張する。

しかし、論旨は、事実誤認の主張と原認定に副はない事実関係を前提とする判例違反(なお、引用判例は、本件と事案を異にする。)、刑法違反の主張に過ぎず、すべて上告適法の理由とならない。

同第六点について。

論旨は、要するに、被告人日野原等の西尾末広に対する本件請託は、稲村代議士の国会における反昭電的再発言を、西尾末広の社会党の領袖、大先輩として後輩に対する勢威をもつてその個人的影響力により、少くとも昭和二二年末まで押えることを依頼したに止まるのであつて、原判決が、西尾末広に対する本件請託の内容、その請託の対象とした西尾の資格、ひいて本件一〇〇万円の提供趣旨、右請託に対する西尾の拒絶言辞の内容及び趣旨として、認定した各事実はすべて事実誤認であり、また原判決は、西尾末広の国務大臣又は衆議院議員としての職務に関する事項でないものをその職務に関すると解した違法があり、さらに原判決認定の西尾の右拒絶言辞の内容及び趣旨は、証拠によらないでこれを認定した違法があるのみならず、原判決は本件一〇〇万円の提供趣旨について前後相異なる認定判示をした理由そごの違法がある旨主張するものであつて、所論は、結局において、事実誤認、刑法違反、訴訟法違反の主張を出でず、すべて上告適法の理由とならない。

同第七点について。

論旨は、要するに、被告人日野原において、原判決認定のように、西尾末広の拒絶にも拘らずなお一種の希望を抱いていたとしても、所論証拠によつて認め得べき所論事実や原判決認定にかかる所論引用事実からすれば、右一種の希望は、贈賄の意図、目的意思にまで凝結したものとはいえない筋合であり、従つて被告人日野原には贈賄意図はなかつたのであり、この点において原判決は、事実誤認であるのみならず判示自体に矛盾があつて理由そごの違法があり、さらに原判決(七二四頁)が「日野原、藤井の認識は賄賂の意味を含ませていたので云々」と判示し、「認識」があつたということだけで直ちに賄賂意思の表示があつた、すなわち賄賂意思をもつて本件一〇〇万円を提供したものであると断じた点において、賄賂罪に関する法令違反の違法がある旨主張する。

しかし、所論も事実誤認、訴訟法違反、刑法違反の主張であつて、すべて上告適法の理由とならない。

同第八点について。

論旨は、要するに(なお、以下においては、復興金融金庫、復興金融委員会、同委員会幹事を、それぞれ復金、復金委員会、復金幹事と略称する。)、被告人日野原の福田赳夫に対する本件一〇万円の提供趣旨の中には、原判示のような二つのいずれも、福田の復金幹事としての職務に関する謝礼報酬の意味をも含ませていたとの原判決認定事実及び該認定に関連し又はその裏付として原判決の認定した所論指摘の各事実、すなわち、原判決認定の提供趣旨の一については、銀行局長兼復金幹事であつた当時の福田が復金幹事として原判示のような職務権限を有していたこと、当時被告人日野原において福田が復金幹事であることを認識し、そしてその復金幹事としての職務権限について原判示のような認識を有していたこと、所論第二次予算に基く復金の昭電融資に関して、被告人日野原が福田に対し原判示の機会に原判示の如き内容の陳情依頼をしたこと(なお、論旨は、その内容が、かりに「復金委員会を早く開いてくれ」ということであつたとしても、それは、福田の復金幹事としての職務権限に属しない具体的事頁についての依頼であるのに、これを、原判示のように、「復金委員会の融資承認手続促進の依頼」であるとするのは、問題のすりかえであると非難する。)、しかも右陳情依頼は復金幹事たる福田をも対象としてなしたものであること、そのため被告人日野原が福田から復金委員会の融資承認手続について世話になつたであらうという考えを抱いていたこと、さらに右第二次予算中の一億円と三億八五二〇万円については復金委員会の融資承認が原則示の如くであつたが故に、被告人日野原は福田に対してなした原判示陳情依頼が奏功して右承認手続を迅速に運んで貰い便宜を得たと考え感謝の念を抱きその謝意を表する気になつたこと、次に、原判決認定の提供趣旨の二については、被告人日野原は、福田が主計局長兼復金幹事であつた時代の中昭和二二年一一月二六日以降においては、原判示の昭電融資に関する客観状勢の悪化、復金の融資方針の変更、復金幹事の権限の強化の諸事情の故に、福田の復金幹事たる地位について従来の認識を改めこれに期待を寄せるに至つたこと、さらに福田がたとえ自ら復金委員会、同幹事会に出席しなくとも銀行局側の復金幹事に連絡して復金融資につき昭電のため何かと面倒を見てくれることが可能だと考えていたので、将来復金より受くべき昭電融資につき同人から好意ある配慮を得たという期待の念を抱いていたこと等の各認定事実は、不当、非常識若しくは前後矛盾の認定であつてすべて事実誤認であり、しかも原判決は、上叙各事実の認定に当つては、或は虚無の証拠により、或は証拠の趣旨を歪曲曲解し又は不可分の供述の一部をその前後の脈絡から断ち切り全体の意味とは趣旨を異にして採証し、或は原判決自らその信憑性なしと排斥否定したものを証拠として採証する等の採証法則違反を敢えてし、また、復金委員会の開催期日の指定は、同委員会会長の職務権限に属し、その期日指定に関する起案や右期日通知の発送事務は、右会長の特命を受けた復金課長兼復金幹事三井武夫が復金幹事として担当処理していたので、これらに関しては、福田は、銀行局長兼復金幹事当時、復金幹事として法令上においても事実上においても何らの職務権限を有しなかつたのであるから、かりに被告人日野原が福田に対して復金委員会を早く開いてくれと依頼したとしても、そしてまた、福田が右依頼に応じ世話をしてくれたため復金融資が早期に実現したと思いその謝礼の趣旨をも含ましめたとしても、本件一〇万円は、福田の復金幹事としての職務に関して提供されたものとはいえないのであつて、原判決には賄賂罪に関する法令違反の違法があり、さらに、原判決(九一二頁)が「福田の復金幹事としての職務に関する行為について対価とするという意識を含む云々」と判示し、「意識」があつたということだけで置ちに賄賂意思の表示があつた、すなわち賄賂意思をもつて本件一〇万円を提供したものであると断じた点においても、賄賂罪に関する法令違反の違法がある旨主張する。

しかし、所論は、事実誤認、採証法則違反、訴訟法違反、刑法違反の主張を出でず、すべて上告適法の理由とならない。のみならず、原判決挙示の昭和二八年押第二号(ハ)第三九九八の一、二号によれば、「復金委員会(及同幹事会)開催通知の件」と題する起案によつて、所論委員会開催期日の指定とその通知とが同一書面により同時に起案決裁せられた事実、しかも福田は、銀行局長兼復金幹事であつた当時、右決裁に関与している事実が明らかであるから、同人が右当時復金幹事として右開催日の指定に関し何らの職務権限を有しなかつたとの所論は採るを得ない。

同第九点について。

論旨は、要するに、原判決は、被告人日野原が本件一〇万円を福田赳夫に差し置き辞去した時に、賄賂たるの情を了知せしめ得べき状態において金員を提供したものとして、賄賂供与申込罪の責任を免れることはできない旨判示しているけれども、所論引用の原判示諸事実から見ても、被告人日野原が本件一〇万円を福田をして賄賂であることを了知せしめ得べき事情の下にその収受を促したものとはいいえず、却つて福田の職務に関係のない専ら友情その他に基く贈物であることを了知せしめ得べき事情の下にこれが収受を促したに過ぎないのであるから、原判決は、所論大審院判決に相反する判断を示していると同時に賄賂供与申込罪の成立に関する法理を誤つた法令違反の違法があり、また、原判決が、福田において、本件一〇万円の提供を受けた当時その趣旨について疑惑の念を抱いていたけれども、これを解消し結局賄賂たることの認識を欠如するに至つた所以の事実理由として認定した所論諸事情こそは、むしろ福田をして賄賂たることを了知せしめ得ない事情に外ならないから、原判示には重大なる矛盾撞着があるし、さらにまた、右差置辞去の時には、単なる友情その他に基く贈物としての意思表示は福田に到達したが、賄賂提供の意思表示は未だ到達していないのであるから、賄賂供与申込罪は未遂であり、この点においても原判決には、右申込罪の成立ないし成立時期に関する法令違反の違法がある旨主張する。

しかし所論中判例違反を主張する点は、引用判例が本件と事案を異にし適切を欠くのみならず、原判決の事実誤認又は原認定に添わない事実関係を前提とするものであり、その余の論旨もまた、原判決の事実誤認又は原認定に添わない事実関係を前提として単なる法令違反を主張するものに過ぎず、論旨はすべて上告適法の理由とならない。

同第一〇点について。

論旨は、要するに、所論復金委員会通牒「復金融資取扱規則」「復金融資取扱暫定規則」中には、復金が一口五千万円以上の融資をするにつき事前に復金委員会の承認を受くべき旨の規定があるが、この規定は法令上の根拠を欠き無効であるから、復金委員会は復金の右融資について承認をする権限を有しないのである、されば、原判示のように、復金委員会幹事が復金委員会の右融資承認手続に関与したり、また昭和二二年一一月二六日以降においては、復金幹事会が復金委員会の右承認につき「下審査」を行うことも、復金委員会が各承認権を有することを前提とするものであるから、前同様法令上の根拠を欠く職務権限というべきである、それ故、福田赳夫は復金幹事として法令上原判示のような職務権限を有しないのであつて、同人に対する被告人日野原の本件賄賂供与申込罪は成立しない旨を主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反の主張であつて上告適法の理由とならない。のみならず、所論復金委員会官制一条にいう「復金法の規定によりその権限に属させた事務」とは、所論のように、単に復金法が明文で規定した事項のみに限ると狭義に解すべきではなく、復金の行う融資に密接な関係がある事項であつて、復金法の規定の趣旨から、復金委員会に許容していると認められる事項をも含むと解するのが相当である。復金法は、復金委員会の権限として、(1)従たる事務所の設置及び銀行その他の者に業務の一部を取り扱わせることについての承認権、(二条二項)、(2)政府出資の金額等の指定に関する権限(四条二項)、(3)定款及びその変更の承認権(五条、三八条)、(4)理事長、副理事長、理事及び監事の政府任命の際の推せん権並びにこれらの役員の任期を定める権限(一二条)、(5)理事長、副理事長及び理事の兼職の承認権(一四条)、(6)復金の目的達成上必要な業務の承認権(一五条三項)、(7)業務開始の際の融通に関する条件その他の業務方法の承認権及びその変更の承認権(一六条)、(8)業務期間の短縮又は延長に関する承認権(一七条二項)、(9)復興金融債券発行の承認権(二一条)、(10)毎事業年度の事業計画及び経理予算並びにこれらの変更の承認権(二五条)、(11)毎事業年度財産目録、貸借対照表、損益計算書、統計書類の受理及びその承認に関する権限(二六条一項)、(12)剰余金処分承認権(二七条)について明文を置いているが、これらの各規定を原判決認定の復金法制定経過に照らして考察すれば、復金法は、復金が「経済の復興を促進するため必要な資金で他の金融機関等から供給を受けることが困難なものを供給することを目的」とし、国の出資にかかる特殊の金融機関である点に鑑み、その適正かつ合理的な運営を期するため、復金委員会をして復金に対し直接監督権を行使せしめんとする趣旨が明白であり、そして、当時においても一口五千万円以上の融資といえば大口融資であつて、何時如何なる者にかかる融資がなされるかは、復金の事業遂行上重要事項であり、これが融資の如何は、復金の適正合理的な運営ひいてその目的達成にも重大な影響を及ぼすものであることも明らかである。それ故復金委員会が、復金の行う融資の基本方針として、一口五千万円以上の大口融資については事前に同委員会の同意(承認)を要することを規定し、これによつて右直接監督権を行使することを、復金法が許容していない趣旨であることは到底解することができない。所論復金法三三条一号の規定も右解釈を否定するに足りない。されば、所論各規則中の所論規定が法令上の根拠を欠き無効であること及びこれを前提として復金幹事又は同幹事会の原判示職務権限が同様法令上の根拠を欠くものであるとの所論は採るを得ない。

同第一一点について。

論旨は、要するに、原判決は、相被告人丸山二郎に対する本件掛軸四幅の供与の事実について、その供与趣旨には、(イ)昭電喜多方工場電力問題に関する相被告人丸山の尽力に対する謝礼の趣旨等の外、(ロ)昭電が安田銀行から受ける融資等につき好意ある取扱を受けた謝礼及び将来も同様の取扱を受けたいとの依頼の趣旨をも含めていたから、(ロ)の趣旨を含む点において、被告人日野原は相被告人丸山の職務に関し賄賂を供与したものであると認定しているけれども、右認定は、喜多方工場電力問題に関する相被告人丸山の尽力、その奏功功績、これに対する昭電当局特にその社長たる被告人日野原の感謝の念等を過小評価し、その反面において安田銀行の昭電に対する融資事務についての相被告人丸山の関与関係を作為的に不当に誇張した結果に外ならず、本件掛軸贈呈には右(ロ)の趣旨は全然含まれておらず専ら(イ)の趣旨のみであつたから、原判決の右認定は誤認である、なお原判決が右認定に関連して認定した所論各事実も誤認である旨主張する。

しかし、所論は、事実誤認の主張であつて、すべて上告適法の理由とならない。

同第一二党について。

論旨は、重政誠之に対する本件株券供与の趣旨には、原判示のような趣旨が含まれていたとの原認定は誤認であり、単純なる政治資金の供与の趣旨がそのすべてであつたとの事実誤認の主張と証拠の取捨選択の非難及びその価値判断の非難を主張するに帰し、すべて上告適法の理由とならない。

同一三点、第一四点について。

論旨は、野見山勉、津田安英、横山彰関係において、原判決の認定した本件金員又は財産上の利益の供与の各趣旨が、その当時における異常特殊な所論事情を無視したものであつて事実誤認であるとの主張と証拠の価値判断の非難を主張するものであり、すべて上告適法の理由とならない。

同第一五点について。

論旨は、黒田庄吉、伊藤光治郎、野崎陽之輔関係において、原判決の認定した供与又はその申込の各所為は、被告人日野原が病気のため正常な思考判断力を欠いていたためになされたものであるのに、この主張を排斥した原判決は事実誤認である旨を主張するものであつて、上告適法の理由とならない。

同第一六点について。

論旨は、明治二六年勅令一二二号各省官制通則一六条は「次官は大臣を佐け省務を整理し各部局の事務を監督す」と規定していたが、右通則は昭和二二年五月三日廃止せられ、その後、次官の職務権限を新たに規定した国家行政組織法一七条の二が施行(昭和二四年六月一日)せられるまでの間は、次官の職務権限を規定した法令はわが法制上全然存在しなかつたのであるから、被告人日野原が大蔵次官池田勇人に対し本件一〇万円を提供した昭和二二年八、九月頃当時においては、次官の職務権限を規定した法令を欠き、それ故池田勇人が大蔵次官として原判示の如き職務権限があるとした原判決は法令違反であると主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反の主張に過ぎず上告適法の理由とならない。のみならず、行政官庁法(昭和二二年法律六九号、同二二年五月三月施行され同二四年五月三一日の経過により失効)八条は「各大臣の所管する部内に置くべき職員の種類及び所掌事項は、法律又は政令に別段の規定あるものを除く外、従来の職員に関する通則による。」と規定しており、右の「従来の職員に関する通則」には、所論明治二六年勅令一二二号各省官制通則をも含むと解すべきであるから、所論は採るを得ない。

次に論旨は、原判決は、池田勇人関係事実につき、「昭電の融資等に関し便宜の取扱を受けたい趣旨云々」と認定判示しているけれども、その「等」とは如何なる事項を指示するのか不明であるから、これと原判示の池田勇人の職務権限とは如何なる関係にあるものか不明であり、従つて賄賂罪の判示としては法令違反であると主張するが、右主張も単なる法令違反の主張であつて上告適法の理由とならない。

次に論旨は、かりに池田勇人が、原判示のように、大蔵次官として大蔵大臣を輔佐する職務権限を有していたとしても、大蔵大臣栗栖赳夫とこれを輔佐する大蔵次官池田勇人とは、昭電融資にす関る賄賂罪成否の職務要因については両者同一であり、しかも被告人日野原が大蔵大臣栗栖赳夫に対し昭和二二年九月頃三〇万円を供与したとの公訴事実と大蔵次官池田勇人に対し同年八、九月頃本件一〇万円を提供したとの原認定事実とは、日時の点においても同じ頃であるにも拘らず、原判決は前者については賄賂罪の成立を否定し後者についてはこれを肯定しているのであつて、これは、輔佐を受ける大蔵大臣栗栖赳夫と輔佐をなす大蔵次官池田勇人とを、右職務要因の成否につき彼此異別に認定判示したものであるから、原判示自体矛盾撞着しており法令違反である旨主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反の主張であつて上告適法の理由とならない。のみならず、論旨の原判決(四七一頁ないし四七三頁)の引用は「云々」として重要なる部分を脱落しており、また原判決は「この点の依頼のみのために、わざわざ栗栖に対し金員を供与するというような状況であつたとは認められない。云々」(四七三頁)と判示しているのであつて、所論のように「この点に関し栗栖に依頼して金員を供与するような状況ではなかつた旨」を認定判示しているのではないこと判文上明白であり、そして原判決は、被告人日野原としては、原判示のように、程度の低いものではあるが大蔵大臣栗栖の職務行為に対する依頼の趣旨をも未必的に含ませていたのであるが、その賄賂供与申込の意思表示は、中間に介在した二宮善基の行為により中断せられ、栗栖に到達しなかつたから、被告人日野原についても賄賂罪は成立しないと判示しているのである(五一九頁参照)。それ故原判決には所論の如き矛盾撞着の法令違反は存在しない。

其の余の論旨は、池田勇人に提供した本件一〇万円の趣旨は、同人が大蔵次官退官後出馬する所論選挙のための準備活動資金であつて、原認定の如き趣旨のものではないとの事実誤認の主張と証拠の取捨選択及びその価値判断の非難を主張するものであつて、上告適法の理由とならない。

同第一七点について。

論旨は、和田太郎関係において原判決の認定した本件三万円の提供趣旨が誤認であつて、右金員は同人の小供の出産に対する御祝及び入費としての心遣いであるとの事実誤認の主張に帰し、上告適法の理由とならない。

同第一八点について。

論旨は、要するに、日本銀行理事江沢省三は、同銀行の考査局長としての事務を担当したのであり、理事としても考査局長としても原判示のような職務権限を有していなかつたのであつて、原判決は、日本銀行法一五条三項、同銀行定款二三条三項、二四条、日本銀行内規二条一項、三条の解釈を誤り、その職務権限に属しないものを同人の職務権限とした違法があり、また同人に対する本件一〇万円の提供は、昭電に対する融資問題とは何らの関係はなく、親密なる交友関係に基いて絵画同好の友人として絵画の贈物に代えてなされたに過ぎないから、原判決は事実誤認である旨主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反と事実誤認の主張であつて上告適法の理由とならない。(なお、日本銀行法一五条三項、同銀行定款二三条三項の規定は、副総裁及び理事は総裁を輔佐しそして定款又は総裁の定める所により同銀行の業務を掌理するとの意味に解すべく、従つて理事は、総裁の総理する同銀行の業務全般に亘りこれを輔佐すると共に、日本銀行内規三条によつて総裁が定めた担当業務を掌理する職務権限を有するというべきであり、所論のように、理事の右輔佐権の範囲は、右内規三条によつて総裁の定めた担当業務に限られると解すべきではない。また、日本銀行定款二四条、同銀行内規二条一項にいう役員集会において審議すべき「諸般の重要事項」も、所論のように、同銀行の目的達成上又はその運営上重要と認められる一般的政策事項のみに限ると解すべき理由はない。本件昭電融資に関する所論問題についても、いやしくも日本銀行理事において、これを緊急を要する重要事項と認めるにおいては、役員集会においてこれを発議しその審議の対象とすることを妨ぐべき理由はない。)

同第一九点について。

論旨は、要するに、賄賂罪の規定における「職務」は、これをその行為との関係から見れば潜在的・抽象的概念であり、刑法はこの意味における職務の不可侵性若しくは純粋性を保護せんとするものではなく、その職務に基ずく具体的な職務行為の不可買収性を保護せんとするものであるから、その行為が現実に行われ又は行われんとする状況がある場合に初めて賄賂罪の対象として意義を持つのである、そして、右の職務行為が行われ又は行われんとする状況とは、その職務を有する者の主観においてさようであるのみならず、客観的状況下においてもそのように認めることが相当とせられる場合でなければならない、しかるに、本件において、池田勇人、福田赳夫、江沢省三、重政誠之関係においては、この状況があるとは認められない、すなわち、原判示によれば、同人等の判示職務の中如何なる具体的事項についての如何なる具体的行為と昭電または日水に対する融資についての如何なる具体的問題とが関連性があるのか全く不明であるし、同人等の主観においてもまた客観的事情の下においても、池田、福田、江沢がその潜在的職務権限を現実に行使したり又は重政がその形式的・名目的職務権限の行使に際し日水に対する融資に関し好意ある取計をしたりすることがありそうな状況にあつたとは到底認められない。従つてかかる場合には、たとえ金品が潜在的・形式的職務に関し授受されたとしても、職務行為の実現性・具体性が存在しないのであるから、その金品は職務行為と対価関係に立つとはいえないし、賄賂罪の立法趣旨とする法益侵害があるともいえない、また、その金品の授受は職務行為自体或はそれに密接な関係にある行為に関するものともいえない、そしてこの理は、金品の供与又は提供者において右の状況ありと誤信していた場合においても同様である、従つて右の四名に対する本件各賄賂供与又はその申込罪は、法律上成立しないのであるから、これに反する原判決には法令違反の違法がある旨主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反の主張であつて上告適法の理由とならない。のみならず、池田勇人が、大蔵次官として大蔵大臣を輔佐する職務権限を有していた以上、たとえ所論制限会社令二条後段による許可については、所論のように大蔵大臣から理財局長以下に内部委任がなされていたとしても、池田が大蔵次官として何時にても右許可事務に関与し得る職務権限を有していたことに何らの変りはない。また、福田赳夫、江田省三においても、複金幹事又は日本銀行理事として発令就任していた以上、同幹事又は日本銀行理事として、それぞれ当然原判示各職務権限を行使し得る地位にあり、法律上これが行使を妨げる事由は毫も発見することができない。されば、被告人日野原が、右の者等の原判示各職務に関して原判示の如き趣旨にて本件各金員の供与申込をなした以上、同申込罪の責任を免れ得ないこというまでもない。次に、重政誠之関係におる本件賄賂供与罪についても、収賄者たる重政誠之において所論融資に関し所論のように好意ある取計をなし得ると否とは、右供与罪の成立には、何らの影響を及ぼすものではない(昭和一一年五月一四日大審院判決、刑集一五巻六二六頁以下参照)。所論は、すべて独自の見解に立脚するものであつて採るを得ない。

同第二〇点について。

論旨は、刑の執行猶予が相当であるとして原判決の量刑不当を主張するものであり、上告適法の理由とならない。

被告人日野原節三の弁護人田中伊三次の上告趣意について。

論旨一は、賄賂提供罪の成立には、相手方において賄賂たることの認識を必要とするところ、本件では、相手方たる福田赳夫、西尾末広においてその認識がなかつたのであるから、賄賂提供罪は成立しないとの単なる法令違反の主張であり、論旨二は、かりに、賄賂提供罪の成立には、相手方において必ずしも賄賂たることを認識するを必要とせず、賄賂たることを認識し得べき状況においてこれを提供すれば足りるものとしても、この点につき、原判決は審理不尽、理由不備の法令違反があるとの主張であつて、所論はすべて上告適法の理由とならない。のみならず、賄賂供与申込罪の成立には、相手方に賄賂たることを認識し得べき事情の下に金銭その他の利益の収受を促す意思表示をなせば足りるのであつて、相手方において実際上その意思表示を又はその利益が賄賂たる性質を具有することを認識すると否とは、同罪の成立に影響を及ぼすものではない。(昭和七年(れ)第一六七号同年四月二〇日大審院判決((刑集一一巻四〇二頁))、昭和九年(れ)第四七九号同年六月一四日大審院判決((刑集一三巻八一一頁))各参照。)

被告人日野原節三の弁護人阿保浅次郎の上告趣意について。

論旨第一点は、本件当時においては、大蔵次官の職務権限を規定した法令がわが法制上存在しなかつたといい、弁護人田中康道の上告趣意第一六点と同旨に帰するから、この点に関する前説示を引用する。

論旨第二点は、原判決が、被告人日野原において、西尾末広に対し本件一〇〇万円を、賄賂たることを了知せしめ得べき事情の下にその収受を促したものとして、同被告人に対し賄賂供与申込罪の成立を認めたのは、事実誤実であり、賄賂提供に関する判例違反(判例を明白に摘示していないが、弁護人田中康道の上告趣意第五点に引用のものを指示するものと認める。しかし、それは本件と事案を異にしている。)並びに法令違反であると主張するが、所論は、事実誤認とこれを前提とする主張であつて、すべて上告適法の理由とならない。

論旨第三点は、量刑不当、事実誤認の主張であつて、上告適法の理由とならない。

論旨第四点は、相弁護人の上告趣意を全部援用するというのであるから、当該上告趣意に対する各説示を引用する。

被告人日野原節三の弁護人平松勇の上告趣意について。

論旨冒頭は、弁護人田中康道等の上告趣意を全部援用するというのであるから、当該上告趣意に対する各説示を引用する。

論旨第一点は、原審は、無罪と認定すべき事実を有罪と認定し、執行猶予を付するのが相当であるのにこれを付せない等明らかに公平を疑わしめるに足る裁判をなし、しかもその審理に当つては、徒らに多数の証人を尋問し、不必要な数多くの検証を実施し、冗漫極まるぼう大なる判決書を作成する等、審理判決に不必要に長時間の日数を費したことは、憲法三七条一項の「公平な裁判所の裁判」および「迅速なる裁判」を保障した規定に違反すると主張する。

しかし、憲法三七条一項の「公平な裁判所の裁判」の意義については、昭和二二年(れ)第一七一号同二三年五月五日大法廷判決(最刑集二巻五号四四七頁)、同二二年(れ)第四八号同二三年二六日大法廷判決(最刑集二巻五号五一一頁)の既に判示するところであり、また、裁判が迅速を欠いても判決破棄の理由とならないことについても、昭和二三年(れ)第一〇七一号同年一二月二二日大法廷判決(最刑集二巻一四号一八五三頁)、同二四年(れ)第二三八号同年一一月三〇日大法廷判決(最刑集三巻一一号一八五九頁)の既に判示するところであるから、叙上各判決に明らし所論は採るを得ない。

論旨第二点は、刑訴施行法三条の二が上告理由を制限したのが憲三九条に違反し違憲無効であると主張する。

しかし、憲法は、審級制度を如何にすべきかについては、その八一条において「最裁高判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」旨を定めている以外、なんら規定するところがないから、この点以外の審級制度は、立法をもつて適当にこれを定めることができる趣意であることは、既に当裁判所大法廷の判例とするところであり(昭和二二年(れ)第四三号同二三年三月一〇日大法廷判決、最刑集二巻三号一七七頁)、また上告審の構造を如何に定めるかは、諸般の事情を勘案して決定せらるべき立法政策の問題であることも、当裁判所大法廷判決(昭和二二年(れ)第五六号同二三年二月六日大法廷判決、最刑集二巻二号二七頁以下)の趣旨とするところであるから、刑訴施行法三条の二が上告理由を制限したからといつて、所論のように違憲無効であるということはできない。所論は採るを得ない。

論旨第三点は、原判決は、西尾末広、福田赳夫に係る収賄被告事件については無罪を言い渡したが、その理由とするところは、右両名が賄賂として供与せられることの認識を欠いていたというのであり、このことは、賄賂として供与するという被告人日野原の意思表示が右両名に到達しなかつたか或は少くともその到達したことを認識する証拠が十分でないことを示すものであり、従つて必要的共犯たる本件においては、提供せられた現金を現実に収受している右両名について、賄賂たる認識の存在を認定する証拠がない以上、被告人日野原についても贈賄罪はもちろん賄賂供与申込罪の成立を認むべき証拠が十分でないとせねばならないにも拘らず、原判決が被告人日野原の右両名に対する各供与申込罪の成立を認めたのは、事実誤認であると同時に法律の解釈適用を誤つた違法があり、さらに、確実な証拠なくして事実を認定した点において、所論当裁判所判例に違反すると主張する。

しかし、所論判例違反の主張は、引用判例が事案を異にする本件に不適切であり、その余の越旨は、事実誤認と刑法違反の主張を出でず、所論はすべて上告適法の理由とならない。

論旨第四点は、量刑不当の主張であつて上告適法の理由とならない。

被告人日野原節三の弁護人山田半蔵の上告趣意について。

論旨第一点(一)は、原判示(九〇四頁一五行目ないし九〇七頁五行目まで)に関して、原判決が、所論検事聴取書中「第三次融資の枠を貫うに付枠の現金化の為、約一〇回の資金の借入の交渉、復金委員会の承認等につき格別の好意をもつて迅速に処理して貰い大変便宣を受けた」という部分については、いずれも事実に反し信憑性がないとして全面的にこれを排斥しながら、他に特段の証拠もないのに、他の部分、すなわち「融資について福田の世話になつた謝礼とか、便宜を受けた謝礼」という供述記載は、「福田が復金融資手続に関与したであらうから、その世話を受けたであらうと思つたという意味をも含むものと解し得る」とし、また、前記「復金委員会の承認等につき格別の好意をもつて迅速に処理して貰い、大変便宜を受けた謝礼云々」の供述記載は、「被告人日野原の心情について若干の真実性を止めた供述であると解するを妨げない」としたのは、証拠の趣旨を誤解又は証拠の趣旨を変更して事実を認定した採証法則違背の違法があると主張し、同(二)は、原判決は、一方では被告人日野原は福田の世話になつたと考えていたといい、他方では福田の世話になつたと思つていなかつたと判示しているから、事実理由にくいちがいの違法があると主張する。

しかし、所論は、単なる法令違反の主張であつて、すべて上告適法の理由とならない。(なお、右(二)の主張は、原判決の誤認に基くものである。すなわち、所論世話になつたと考えていたという原判示は、福田赳夫の銀行局長時代のことであり、他方世話になつたとは思わなかつたという所論原判示は、同人の主計局長時代であつて昭和二二年一一月二六日復金幹事の権限張化以前のことについて述べたものであるから、原判示には、所論のような、くいちがいはない。)

論旨第二点は、弁護人田中康道の上告趣意第一八点の単なる法令違反と同旨に帰するから、これに対する前説示を引用する。

論旨第三点(一)は、原判決が、第八章第一節第六の事実を認定するについて、同章第三節と第四節の各認定事実を証拠としたのは、採証法則違反であるといい(しかし、証拠によつて認定した或る事実を他の事実の証拠としても、少しも違法ではない。昭和九年(れ)第一五六八号同一〇年二月一四日大審院判決、刑集一四巻九二頁参照。)、また同(二)は、原判決は所論指摘事実を証拠に基ずかないで認定した証拠理由不備の違法があると主張するものであり、すべて上告適法の理由とならない。

被告人日野原節三の弁護人浅沼澄次の上告趣意について。

論旨第一点の一は、賄賂供与罪申込罪が成立するには、贈賄者側の、金銭その他の賄賂を相手方に供与すべき旨の意思表示が外部的容態として相手方に感知識別せられ、しかも相手方がその収受を拒絶した場合、すなわち、金銭その他の利益の授受が行われない段階であることを必要とすると解すべきである、しかるに本件においては、相手方なる西尾末広は、単なる「政治献金」であるとの認識の下に本件一〇〇万円を受取つたのであり、その申込から金銭の授受に至るまでの間、これを賄賂として供与すべき旨の意思表示が外部的容態として西尾に感知せられておらず、また賄賂性の認識せらるべき状況は徴塵も存在していなかつたのであるし、しかも西尾は本件一〇〇万円をなんら拒絶することなく受領しているから、既に賄賂供与の申込の段階を通り過ぎて金銭の授受は終了している。それ故原判決が西尾に対する本件供与申込罪の成立を認めたのは、事実誤認であり、刑法一九八条の賄賂供与申込罪の解釈適用を誤つた違法があるといい、同二は、被告人日野原が福田赳夫に対し贈与した本件一〇万円は、全く友情の贈物であつて他意なく、従つてこれを賄賂として供与すべき意図もその意思表示もなかつたのである、福田の復金幹事たる地位について認識を深め同人に期待するに至つたとの原判示の如き被告人日野原の心理過程の変化については、これを認むべき一片の証拠もないし、被告人日野原が福田に接した態度に関する所論原認定は全くの悪意の推測であり、被告人日野原の所論強調説得が事態を収拾し福田を納得させるための方便に過ぎないとの原判示もまた曲解の甚だしきものである、しかも福田は本件一〇万円を賄賂性の認識なくして収受しており、金銭の授受は既に終了しているから、前記第一点の一と同様の理由により、賄賂供与申込罪は成立しない、それ故原判決が福田に対する本件供与申込罪の成立を認めたのは、事実誤認であり、賄賂供与申込罪の解釈適用を誤つた違法がある旨主張する。

しかし、所論は、事実誤認と単なる法令違反の主張であつて、すべて上告適法の理由とならない。(なお、賄賂供与申込罪の成立は、金銭その他の利益の授受が未了の場合に限るとの所論は、採るを得ない。すなわち、金銭その他の利益の授受がなされても、相手方がその賄賂たることを認識しない限り、相手方に収賄罪は成立しないけれども、このことは、賄賂供与申込罪の成立に影響を及ぼすものではない。)

論旨第一点の三は、相被告人丸山に対する贈賄関係については、弁護人田中康道の上告趣意を援用するというのであるから、この点に関する前説示を引用する。

論旨第二点は、量刑不当の主張であつて上告適法の理由とならない。

被告人日野原節三の弁護人徳岡一男の上告趣意について。

論旨第一章は、福田赳夫に対する本件一〇万円の供与申込は、被告人日野原と福田との間の親密にして極めて自然純粋なる友情関係に基ずく贈物であつて、原判決認定のように福田の復金幹事としての職務に関して提供されたものではないから、原判決は事実誤認である、また原判決は、右一〇万円の趣旨として、その中には、職務関係を離れて充分納得し得る私交上の理由に基ずく趣旨が含まれていたと認定しなから、他の趣旨をも含まれていたと認定しているが、これは矛盾であり、経験則に違反するし、判示金員提供趣旨の決定的要因が何であるかについて判断を示していない点において、審理不尽、理由不備の違法がある。さらに原判決は、昭和二二年一一月二六日復金幹事の職務権限が強化される以前においては、被告人日野原は福田の復金幹事としての職務をその意識外においていたとの趣旨を認定しているが、しかりとすれば、被告人日野原が、原判示のように、従来昭電が復金から受けた融資について銀行局長兼復金幹事時代の福田に世話になつたであろうという意識を持つべき筈はないから、原判決認定は矛盾であり理由そごである。また原判決は、福田自身も、銀行局長時代には、復金幹事たることを意識の外に置き同幹事として全然活動しておらず、また主計局長時代には、その職務権限さえ知らず復金幹事としてなんらの活動をしていないのみでなく、大蔵省、復金当局者も福田が復金幹事であることを知らなかつたと認定しながら、ひとり部外の第三者である被告人日野原については、福田が復金幹事であることを認識していたと認定し、しかも福田本人が、無関心で気にもとめていない職務を目的として賄賂の提供をしたと認定しているが、これは全く経験法則に反する認定である、さらに、原判決は、福田については、すべて復金幹事の職務に無関心でその活動をしなかつたという客観的事実をその収賄罪認否判断の重要なる基準としながら、被告人日野原についてはこれを重視せず、しかも福田が復金幹事たることを及びその職務権限についての被告人日野原の認識については、その証拠不十分なるにも拘らず、敢えてこれを同被告人に不利に曲解採証したのは、採証法則違反である旨主張する。

しかし、所論は、原判決の事実誤認と理由不備、理由そご、審理不尽、経験則違反、採証法則違反の単なる法令違反とを主張するに帰し、すべて上告適法の理由とならない。

論旨第二章は、西尾末広に対する本件一〇〇万円の供与申込の事実に関し、原判決は、被告人日野原が、西尾の社会党領袖たる資格のみならず、附随的にではあるがこれと不可分的に国務大臣並びに衆議院議員たる資格をも対象としたものであり、徒つて右金員の提供趣旨には、西尾の国務大臣及び衆議院議員としての職務に関する対価、報酬をも含むと認定しているが、この認定は、事実誤認、経験法則論理法則違反である、原判決は、被告人日野原が決定的意識として目指した社会党領袖たる資格を罪責判定の基準とすべきであるのに、その決定的意識が何であるかを明示していない点において、理由不備、理由そごの違法がある。また、原判決が、西尾の国務大臣、衆議院議員の資格をも対象としたと認定しながら、重要なる役割を有する内閣官房長官たる資格については、これを対象としなかつたと認定したのは論理的矛盾であり、専断放恣の違法がある(しかし、この点は、原判決は検察官の主張を排斥したのであるから、所論は被告人に不利益な主張である。)、さらに、原判決が、被告人日野原及び藤井孝の所論各検事聴取書供述部分を証拠に供したのは、不可分の供述の一部分を採つて全体と異なる趣旨を認定したものであつて、証拠法違反であると同時に所論当裁判所の判例にも違反する、なお、衆議院議員がその資格において他の議員の国会議場における発言に制肘を加えることは、言論の自由を侵害する違憲の行為であるのに、原判決がこれをその職務に関する行為であると認めたのは、憲法の解釈を誤つたものであつて違憲である旨主張する。

しかし、所論中、違憲をいう点は、原判決は、所論のように、衆議院議員が他の議員に対し国会議場における発言につき制肘を加えることが、その職務に関する行為であるとは、少しも判示していないこと判文上明らかであるから、その前提において失当であり、また判例違反をいう点は、論旨引用判例は、一個の供述調書中の或る供述部分が、他の供述部分と不可分であつてこれなくしてはその趣旨明瞭を欠く場合に、他の供述部分を除外し或る供述部分のみを採証した事案に関するものであつて、所論のように数個の別個の検事聴取書、第一、二審における各公判廷供述の場合に関するものでないから、事案を異にし本件には不適切であり、その余の所論は、事実誤認と経験法則論理法則違反、理由不備、理由そご、証拠法違反の単なる法令違反の主張であつて、論旨はすべて上告適法の理由とならない。

論旨第三章は、相被告人丸山二郎に対する本件掛軸四幅の供与趣旨として、原判決は、安田銀行の昭電融資に関する謝礼、依頼の趣旨をも含むと認定したけれども、右認定は、昭電喜多方工場の電力問題についての相被告人丸山の尽力、その功績、安田銀行の昭電融資における伝統的政策、同融資事務における相被告人丸山の単なる形式的名目的関与、右両者間の親交関係、絵画趣味共歓等の諸事実を正当に評価しなかつた結果であつて、原判決には、事実誤認と証拠の取捨選択を誤りかつ経験法則に反する法令違反の違法がある旨を主張するものであり、所論はすべて上告適法の理由とならない。

論旨第四章は、原判決は、重政誠之に対する本件株式合計一万株の供与趣旨として、原判示日肥所有日水株の譲渡を受けたことの謝礼、日肥の日水に対する融資その他日水の運営について、日肥理事長としての重政の好意ある取計を求める趣旨をも含めていたと認定しているが、その供与趣旨は単なる政治資金贈与の趣旨の外他意なきものであり、原判決には事実誤認と説示矛盾、理由そごの法令違反の違法があるとの主張であつて、上告適法の理由とならない。(なお、本件日水株の譲渡は、日肥理事長重政の職務行為であるとした原判決の判断(二六〇頁、二六一頁)は正当である。)

論旨第五章は、津田信英に対する本件財産上の利益及び現金の供与の趣旨に関する原判決認定は誤認であり、それは私的交友関係に基ずく配慮または同情心によるものであつて、津田の原判示職務に関するものではない旨事実誤認を主張するに過ぎず、上告適法の理由とならない。

論旨第六章は、判例違反を主張する点もあるが、引用判例の所論判示は、当該事案における量刑判断を示したに過ぎず、法律上の判断を示したものではないから、判例違反主張の対象となり得ないものであり、その余の論旨は、量刑不当の主張であつて、所論はすべて上告適法の理由とならない。

被告人丸山二郎の弁護人海野晋吉、同山根篤、同牧野賢弥の上告趣意について。

論旨は、原判決第五章第二節「掛軸四幅に関する事実」の判示につき、殆んどその全部に亘り逐一これを反駁非難するが、その要旨は、本件仏手柑の授受の時期は、原判示昭電喜多方工場電力問題が無事に解決した頃の昭和二三年一、二月頃であつて、原判決がこれを同年三、四月頃と認定したのは、同年五月頃の協調融資に被告人丸山が関与している点を捉え、ことさらに本件掛軸を昭電融資に結びつけようとした作為に外ならない、また、原判決は、右電力問題に関する被告人丸山の斡旋尽力、その功績、これに対する昭電特にその社長たる相被告人日野原の感謝の念、電力不供給の場合同工場の蒙むるべき損害等を不当に過少評価し、被告人丸山と相被告人日野原間の永年の親友関係、絵画趣味共歓の事実を軽視し、本件掛軸授受の際の両当事者の態度、会話の内容についても何らの検討をしていない、次に、安田銀行の昭電に対する融資問題に関しても、それは日本銀行の斡旋の下になされかつ復金保証のあるものであり、また安田銀行の昭電に対する伝統的政策上から見ても、順調平易何らの危険のないものであつたにも拘らず、原判決は、昭電や相被告人日野原又は他の市中銀行の側から見た昭電融資の難易を重視し、これを安田銀行や被告人丸山の側から見たその難易の問題とすりかえている。また、昭電に対する個々の融資についても、本件掛軸授受当時のものに限定して検討すべきであるのに、原判決は、これに限定せず徒らに広範囲に亘り、その配列順序も全く乱雑出たら目であり、しかも誤つた認定をしている、また、被告人丸山の右融資事務関与は、書類上営業部長として決裁印を押してはいるものの、これ全く形式上の盲判であつて、直接実質的に関与統轄していたのではない、従つて原判示の相被告人日野原の請託依頼、被告人丸山の便宜供与の如きは、全くの誇張に失し実質的にはかる事実は少しも存在しないのであつて、相被告人日野原が、昭電融資に関し、被告人丸山に対し、原判示のような感謝の念を抱く筈もなく、被告人丸山としてもそのような事実を知る筈もない、さらに原判決が「掛軸に関する当事者の主張に関する判断」(五八三頁以下)において判示するところも徒らに被告人丸山の有罪を印象づけるための詭弁に過ぎず、また所論のような誤りがある、というのであつて、論旨は、帰するところ、被告人丸山においては、本件掛軸四幅は、原判示喜多方工場電力問題に関する斡旋尽力に対する謝礼及び絵画趣味共歓による贈物であるとの認識しか有せず、原認定のように安田銀行の昭電融資に関する謝礼、依頼の趣旨をも含むものとは認識していなかつたと主張するものである。

しかし、所論は、原判決の証拠の取捨選択の非難、証拠の価値判断の非難、事実誤認の主張を出でないものであつて、すべて上告適法の理由とならない。

被告人丸山二郎の弁護人海野晋吉の補充上告趣意について。

論旨は、原審において取り調べた主要な証人は、既に第一審で取調済のものばかりで、しかもこれに対し末稍的な点について補充的に尋問しただけであるし、また原審においては、他に新たな証拠や第一審と矛盾した証拠は何も提出されていないのであって、かように第一審と実質上証拠を共通にし、しかも何ら相反する新たな証拠が出ていない場合には、控訴審は第一審と全く異なる事実認定をしその無罪判決を覆えして有罪判決をすることは許されないと解すべきである、蓋し、本来無罪の推定を受けている被告人が、一度法に定められた手続により、裁判所の審理を受け無罪判決を受けた以上は、その無罪の推定は一層強化されると考えるのが相当であり、従つて、この無罪の推定を覆すには、控訴審において、第一審が取り調べることができずかつ第一審の事実認定と相反する新しい証拠が提出された場合とか、新しい証拠取調の結果第一審の事実認定が経験則に反すると判断される場合に限ると解するのが相当であるからである、されば、控訴審は、単に第一審と証拠に対する見解を異にするという理由のみで、「訴訟記録及び第一審で取り調べた証拠」のみによつて、第一審とは全く異なる事実認定をなしその無罪判決を覆して有罪判決をすることは許されないし、また、このことは、たとえ本件の如く、第一審で取り調べたとしても、その供述内容が実質上同一であり、しかも他に何ら新しい被告人丸山に不利益な証拠が提出せられておらず、従つて実質上「訴訟記録及び第一審で取り調べた証拠」以外には何ら新しい証拠が提出せられていない場合においても同様でなければならない、それ故右に反する原判決は、憲法三一条、三九条の趣旨に違反すると主張する。

しかし、本件については、原審は、刑訴施行法の定めるところにより、刑訴応急措置法及び旧刑訴に従い、覆審たる控訴審として事実審理をやり直し、その結果第一審とは証拠に対する価値判断を異にしたものであつて、「一審記録及び第一審で取り取べた証拠」のみによつて直ちに判決をしたものではないし、また、かりに、所論の如く、原審においては、既に第一審で取調済の証人等を再取調をしたに止まり、他に新たな被告人丸山に不利益な証拠の提出がなされなかつたとしても、原審の証拠に対する価値判断が、第一審判決に拘束されるいわれはない。所論は違憲をいうけれども、その実質は、単なる訴訟法違反、原審の証拠の価値判断の非難、事実誤認を主張するに帰し、上告適法の理由とならない。

次に論旨は、原判決は、二宮善基と福田赳夫に対しては、相被告人日野原との友情関係、私的交際関係を重視して同人等を無罪としながら、被告人丸山については、二宮、福田関係以上の親密な交友関係があり、その上右二名の場合には見られなかつた絵画観賞の趣味を共通にしたという特殊事情があるにも拘らず、すべてこれを無視し、しかも信憑力のない相被告人日野原の所論検事聴取書や第一審公判廷供述の一部を採証して、第一審の無罪判決を覆したのは、偏頗不公正を疑うに十分であつて、憲法三七条一項に違反すると主張する。

しかし、憲法三七条一項の「公平な裁判所の裁判」の意義については既に前示当裁判所大法廷判決(相被告人日野原の弁護人平松勇の上告趣意第一点に対する説示参照)の判示するところであり、また所論の実質は、原審の証拠の取捨選択の非難、その価値判断の非難、事実誤認を主張するに帰するから、論旨は採るを得ない。

被告人丸山二郎の弁護人本村善太郎、同安平政吉の上告趣意について。

論旨は、前記弁護人海野晋吉、同山根篤、同牧野賢弥の上告趣意と殆んど同旨でこれを出でないものであつて、証拠の取捨選択の非難、その価値判断の非難、事実誤認の主張に帰し、すべて上告適法の理由とならない。

被告人丸山二郎の弁護人本村善太郎の上告趣意(補遺部分)について。

論旨は、かりに、被告人丸山が、本件掛軸四幅を、原認定の如く、安田銀行の昭電融資に関する謝礼、依頼の趣旨をも含むと認識して収受したものとしても、同被告人は右授受当時、右に関し処罰法があることを知らなかつたのであるから右掛軸が法律にいう賄賂すなわち不法の利益であることを知らなかつたのであり、従つて賄賂性の認識を欠き、罪となるべき事実の認識を欠くのであるから、犯意を阻却するというべきである、また、かりに、右賄賂性の認識の欠如が、事実の錯誤ではなく違法性の錯誤であるとの見解に従うとしても、もともと故意の成立には違法性の認識を要しないとする学説、判例は、犯罪は本来反倫理的、反道義的であり、刑罰法規は何人も知つているとの擬制のもとに成立したものであるから、いわゆる法定犯の場合には妥当しないのである、従つて、法定犯においては、犯意の成立につさ違法性の認識を必要とすると解すべく、違法性の不知があつても、行為者を道義上非難できない事情が認められる限り、故意を阻却すると解すべきである。本件において、処罰法たる経済関係罰則整備法の規定する賄賂罪は、本来何ら反倫理性、反道義性のない行為を、法律が犯罪としたものであつて、いわゆる法定犯の範ちゆうに属するものであり、また右整備法の性格自体からいつても、行為者において、一般にその行為の違法性認識の可能性がない種類のものであるから、その違反性を認識しない方がむしろ一般であり原則である、それ故、被告人丸山に対しては故意犯としての責任非難を帰すべきではない、というのである。

しかし、所論は、帰するところ、犯意なしとの事実誤認又は単なる法令違反を主張するものに外ならず、すべて上告適法の理由とならない。のみならず、かりに、違法性の錯誤に関しては所論見解に従うとしても、本件においては、被告人丸山の所論違法性の不知につき、道義上非難できない事情が存在するものとは到底認めることができない。(なお、所論は、前記整備法にいう「其の職務に関し」の意義を云云するけれども、本件における被告人丸山の原判示職務は、安田銀行本来の事業又は業務である融資に関するものであるから、所論のいずれの説によるも結論は同一に帰する。)

職権により被告人日野原節三に対する刑の量定につき調査するに、同被告人に対する情状として原判決の判示するところによれば、同被告人の本件利益贈与ないし利益提供の動機としては、相手方の職務行為に対する依頼又は謝礼の趣旨のほかに多かれ少かれ、それ以外の個人的な交友関係、政治献金、職務に関係のない個人的な将来の庇護期待等の趣旨も認められ、必ずしも職務要因のみに基く利益贈与ないし利益提供を行つたというような状況であつたとは認められない、また拘置所関係の贈賄は、被告人の境遇の激変とそれに基く心身の疲労、衰弱の結果に出た行為であるとして憫諒すべき情状も認められるというのである。更に原判決は、被告人日野原が、化学工業ことに化学肥料工業に関し相当の識見を有すること並びに同人の日水及び昭電、とりわけ昭電の経営(建設、融資をも含む)に関し示した努力及び業績がいずれも高い評価に値するものであり、同被告人の日水ないし昭電の経営についての努力は、すなわち化学肥料の増産を意味し、そしてこれは、食糧増産に直結することであつたから、この見地からすれば、食糧事情が急迫していた当事の状況下においては、日野原の右各贈賄は犯情として日野原に有利なものを含んでいたといえるとも認定しているのである。

そして同被告人は、昭和二三年六月二三日逮捕拘禁され、同年一二月三〇日保釈されるまで六カ月余拘禁され、次いで二四年五月七日第一審公判が開始され、爾来一三二回の公判と全国各地に亘る検証を経て、昭和二七年一〇月二七日、同二八日第一審判決があり、第二審においては、昭和二九年一月一九日以降一三九回の公判と全国各地に亘る検証を経て、昭和三三年一一月一七日第二審判決があり、今日に至つたものであるが、その間約一四年の長期に亘り同被告人は、心身に有形無形の多大の苦痛を受けたものというべく、また一審判決によれば、「日野原の公判審理に臨む態度は概ね真摯公明であつて、時に相被告人の非難攻撃に対しても動ずることなく、真実の許す限りその責を一身に担う心境にあつて将来再び過誤を犯さざらんことを堅く誓つているものと認められる」というのであつて、同被告人が反省、謹慎の日を送りつつあることは、右判示の趣旨からも窺知しうるところである。

本件は、被告人日野原の昭電経営に関する贈賄容疑に端を発し、官界、政界、財界の有力者多数が同人からの収賄容疑者として登場し、遂に芦田内閣の総辞職を見るに至つたもので、これに関連して起訴された被告人の数は三〇数名に上り、当時いわゆる昭電事件として世人の耳目を聳動せしめた大事件ではあるけれども、その後の推移を見るに、いわゆる昭電事件日野原関係の事件においては、収賄罪で起訴された西尾および福田は、いずれも無罪とされ、また一審若しくは二審で有罪とされた重政、横山、丸山本件相被告人)、野見山、津田、伊藤、黒田らは、悉く執行猶予となり、丸山以外の他の全員の判決は、すでに確定しているのである。

叙上の諸事情を考慮するときは、被告人日野原に対し実刑を科さなければ刑政の目的を達することができないものとは断じ難く、刑の執行を猶予するのが相当であつて、原審の量刑は重きに過ぎ、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて被告人丸山二郎の本件上告は、理由がないから刑訴施行法二条、旧刑訴四四六条によりこれを棄却し、被告人日野原節三については、刑訴施行法三条の二、刑訴四一一条二号により原判決中同被告人に関する有罪部分を破棄し、刑訴施行法二条、旧刑訴四四八条により被告事件につき更に判決する。

被告人日野原節三の原棄認定の所為は、それぞれ原判決第一二章第二節第一の一ないし一三記載のとおり同掲記の法令に該当するところ、原判示第七章第三節第四の二の(一)(二)および同第一一章第一節第一ないし第三の所為は、連続犯であるから昭和二二年法律第一二四号附則四項、同法による改正前の刑法五五条を適用して一罪として処断すべく、これとその余の各所為とは、刑法四五条前段の併合罪であるから、各所定刑中懲役刑を選択し、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い重政誠之に対する賄賂供与罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において同被告人を懲役一年に処し、同法二一条により第一審における未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入し、なお同法二五条一項に従い本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担につき刑訴施行法二条、旧刑訴二三七条一項、二三八条を適用して主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。

検察官田中万一関与

昭和三七年四月一三日

最高裁判所第二小法廷

裁判長裁判官 藤 田 八 郎

裁判官 河 村 大 助

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 山 田 作之助

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